クンニ論

昼はサラリーマン夜はクンニの伝道師として活動する男が書く何とも言い難い微妙なブログ

クンニって素晴らしい②

前回までは自分がマンコ恐怖症になってしまったところまで話したと思うが今度はクンニに出会うまでを書きたいと思う。

 

マンコ恐怖症から初クンニまでに至るまで数年を要した。

というのも、中学、高校と彼女なんていらねぇと硬派を気取り部活に明け暮れていたからである。

しかしながら、無修正ビデオ以来マンコとは疎遠ではあったもののエロ番組、エロ本、エロビデオは見ては自慰行為に及び、女子生徒のブラウスから透けるブラで興奮し、女体もといセックスに対して異常なほどの興味を示すいわゆるムッツリスケベ路線をひた走っていた。

 

 

そんな自分が、高校二年生の夏に女体に触れることとなる。

 

土曜日の部活の帰り、その日家族がいなかった為、部活仲間とマネージャーが家に遊びに来たのである。

仲間は夕方帰ったがマネージャーは残り、泊まると言い始めた。

仲間からはマネージャーが自分に好意を持ってることを聞いていた。

 

そうなると、一つの答えが導き出される。

 

 

 

自分に好意 + 家に二人きり × 女体に対する異常なまでの興味 = 脱がす

 

 

そう、脱がしたのである。

 

 

相手の好意に乗じて行為に及ぼうとしてしまったのである。

 

 

いざ、本番となるとエロビデオやエロ本で身につけた知識は何の役にもたたず、生乳をさわり、マンコを触っただけで、挿入前にフェラ抜きされて終わってしまった。。

 

 しかし、マンコには触れることができた。

かなりの前進である。

が、視覚からの情報はなかった。

まだ、後遺症が残っていたからである。

 

それからマンコを見ることも、まして女体に触れることもしないまま1年が経った。

 

 

遂にその時がやってきた。

 

 

彼女ができたのである。

 

自分で言うのも何だが、めちゃくちゃ可愛い年下の子であった。

 

お互いセックス経験はなく最初は何をするのもぎこちなかったが、セックスが凄い良いものだとわかり、ほぼ毎日のようにセックスに勤しむ日々を過ごしていた。

 

18歳脱オナニー。

 

この頃からオナニーするのが馬鹿らしくなり、オナニーする自分に嫌悪感を抱くようになった。

 

だか、セックスに目覚めたこの頃でもまだクンニ好きではなかった。

 

脱オナニーは果たしたものの、自分が気持ち良くなればいいというオナニー野郎の発想でセックスに明け暮れていた。

彼女が生理ならフェラ抜きさせ、抜きたくなれば、場所がどこであれフェラをさせる射精マシンと化していた。

 

なぜ、クンニが好きになったか?

 

それは前回の記事の冒頭で記載したとおり、人間だったからである。

 

射精マシンの自分はマシンではなく人間だったのだ。

 

人は誰しも幸せになりたいはずである。

幸せになりたくない人なんていないはずである。

 

人それぞれ、幸せの形は違うだろうが、気持ち良いことは幸せと同義だと思う。

調べてはいないが、そんなことを提唱している哲学者がきっといるであろう。

 

 

エクスタシー = 幸せ

 

射精の瞬間不幸になる人はいない。

例え、ブス相手に中出ししてしまったとして、好きでもないブスが妊娠して責任取らされると

後悔することはあるだろうが、射精の瞬間は幸せになってるに違いない。

 

だいぶ脱線してしまったが、幸せになりたいという気持ち、言い換えれば気持ち良くなりたいという気持ちは自分に向けては当たり前のように向けられるが、それは愛する相手にも向けられるのである。

 

 愛する相手が気持ち良くなって欲しい。

いや、愛する相手に幸せになって欲しいという気持ちがあれば、自然に顔はマンコに向かって行くはずである。

 

自分は愛する彼女のために今一度マンコと向き合う決意をした。

 

つづく